2011年01月29日
平山郁夫展


東京の冬は、最高のお天気です。
薬師寺の壁画には感動でした。
奈良をおとずれたくなりました。
また、バーミアンから長安にいたる仏教遺産の数々にも圧倒されました。平山氏は遺産難民として国外に放出された遺産を保護し国内が、落ち着いた時点で国内に返還するとのこと。早く実現できることを心から切望し何か役になることはないかと思います。
Posted by wataru at 12:10 | Comments(0)
2011年01月22日
ちょっといい話
────────────────────────────────────
「命とは君たちが持っている時間である」
日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)
『致知』2008年12月号
特集「心願に生きる」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/200812_index.html
────────────────────────────────────
僕はいま人生において最も大切だと思うことを、
次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。
僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、
僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。
その一つとして僕は二年前から二週間に一回は
小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に
四十五分間の授業をやっています。
最初に校歌を歌ってもらいます。
前奏が始まると子どもたちの間に入って、
僕がタクトを振るの。
すると子どもたちは外から来た年配の先生が
僕らの歌を指揮してくれたというので、
心が一体になるんですね。
僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。
難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。
でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」
と言ったら、全員が挙げるんです。
「では命はどこにあるの」って質問すると、
心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。
僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
このように話を続けるんです。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。
命とは感じるもので、目には見えないんだ。
君たちね。
目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。
空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの?
でもその空気があるから僕たちは生きている。
このように本当に大切なものは
目には見えないんだよ」と。
それから僕が言うのは
「命はなぜ目に見えないか。
それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。
どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか
しっかり考えながら生きていってほしい。
さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために
使うことを学んでほしい」
ということです。
僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。
そこには
「寿命という大きな空間の中に、
自分の瞬間瞬間をどう入れるかが
私たちの仕事ですね」
と書かれていた。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。
あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。
僕自身のことを振り返っても、
十歳の時におばあちゃんの死に接して、
人間の死というものが分かりました。
子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。
「命とは君たちが持っている時間である」
日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)
『致知』2008年12月号
特集「心願に生きる」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/200812_index.html
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僕はいま人生において最も大切だと思うことを、
次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。
僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、
僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。
その一つとして僕は二年前から二週間に一回は
小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に
四十五分間の授業をやっています。
最初に校歌を歌ってもらいます。
前奏が始まると子どもたちの間に入って、
僕がタクトを振るの。
すると子どもたちは外から来た年配の先生が
僕らの歌を指揮してくれたというので、
心が一体になるんですね。
僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。
難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。
でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」
と言ったら、全員が挙げるんです。
「では命はどこにあるの」って質問すると、
心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。
僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
このように話を続けるんです。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。
命とは感じるもので、目には見えないんだ。
君たちね。
目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。
空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの?
でもその空気があるから僕たちは生きている。
このように本当に大切なものは
目には見えないんだよ」と。
それから僕が言うのは
「命はなぜ目に見えないか。
それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。
どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか
しっかり考えながら生きていってほしい。
さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために
使うことを学んでほしい」
ということです。
僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。
そこには
「寿命という大きな空間の中に、
自分の瞬間瞬間をどう入れるかが
私たちの仕事ですね」
と書かれていた。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。
あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。
僕自身のことを振り返っても、
十歳の時におばあちゃんの死に接して、
人間の死というものが分かりました。
子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。
2011年01月10日
ラグビー日本代表に
今日、ラグビー日本代表「Uー18」の選手にマウスガードを装着しました。 ぼくが作ったマウスガードを装着した選手が日本代表として国際試合で活躍できることを嬉しく思います。けがなく夢をかなえてもらいたいものです。
Posted by wataru at 17:04 | Comments(0)
2011年01月09日
2011年01月07日
地獄と極楽
また、稲盛氏の著書から
天国と地獄のことについてです。
京都の円福寺のご老師のお言葉だそうです。
あの世には、地獄も極楽もある。しかし、外見上は極楽も地獄も全く一緒だというのです。
たとえば、次の情景を目に浮かべてください
真中に大きな釜が置いてあり、おいしいうどんが煮えていて、付け汁もおいてあります。
食べ方のルールが決まっていて、1メートルくらいの長い箸で、しかもその端を持って食べなければなりません。
つまり、天国も地獄も、釜の大きさも、釜を囲んでいる人数も全く一緒なのです。違うのは、そこにいる人の心だけが違っているのです。
「どういうことが起こるか想像してみてください」
おなかがすいているときに、おいしそうなうどんを前にして「さぁ、みんな食べてもいいよ」と言われれば。
地獄では、その1メートルの箸でうどんをつまんでは、自分の付け汁につける。つけるけれども、箸が長すぎて口に持っていくことができない。釜の周りはうどんの取り合いになり、うどんはちらかり人々は餓鬼道にはしる。
天国では、思いやりがある人々が住んでいます。そこでは「うどんができましたよ。皆さん一緒に食べましょう」「それでは頂戴します」といって、釜のうどんを1メートルの箸でつまみ、相手の人の付け汁につけて食べさせてあげる。相手の人は「ありがとうございました」「今度はあなたがどうぞ」といって、うどんをつまみ取ってあげる。そして人々は手を合わせ感謝しながら食べている。
「これが極楽なんだよ。しかし、外見は地獄となにもかわらない」と老師はおっしゃったそうです。
ぼくは、すぐに地獄のことを思い浮かべてしまいました。まだまだですね、反省です。
心の在り方次第で現実の世界に
極楽も地獄も出現するのです。
天国と地獄のことについてです。
京都の円福寺のご老師のお言葉だそうです。
あの世には、地獄も極楽もある。しかし、外見上は極楽も地獄も全く一緒だというのです。
たとえば、次の情景を目に浮かべてください
真中に大きな釜が置いてあり、おいしいうどんが煮えていて、付け汁もおいてあります。
食べ方のルールが決まっていて、1メートルくらいの長い箸で、しかもその端を持って食べなければなりません。
つまり、天国も地獄も、釜の大きさも、釜を囲んでいる人数も全く一緒なのです。違うのは、そこにいる人の心だけが違っているのです。
「どういうことが起こるか想像してみてください」
おなかがすいているときに、おいしそうなうどんを前にして「さぁ、みんな食べてもいいよ」と言われれば。
地獄では、その1メートルの箸でうどんをつまんでは、自分の付け汁につける。つけるけれども、箸が長すぎて口に持っていくことができない。釜の周りはうどんの取り合いになり、うどんはちらかり人々は餓鬼道にはしる。
天国では、思いやりがある人々が住んでいます。そこでは「うどんができましたよ。皆さん一緒に食べましょう」「それでは頂戴します」といって、釜のうどんを1メートルの箸でつまみ、相手の人の付け汁につけて食べさせてあげる。相手の人は「ありがとうございました」「今度はあなたがどうぞ」といって、うどんをつまみ取ってあげる。そして人々は手を合わせ感謝しながら食べている。
「これが極楽なんだよ。しかし、外見は地獄となにもかわらない」と老師はおっしゃったそうです。
ぼくは、すぐに地獄のことを思い浮かべてしまいました。まだまだですね、反省です。
心の在り方次第で現実の世界に
極楽も地獄も出現するのです。
2011年01月07日
試練
稲盛和夫さんの本を読んでいて感銘した文章がありましたので書き留めておきます。
試練が人を成長させる
試練を乗り越えることによって人は成長するとあります。そうですね、わたしも浪人時代や研修医時代のさまざまなことが夢に出てきてびくっとすることがあります。
しかし、稲盛氏は、「試練」とは、一般的に言われる苦難のことだけを指すのではなく、「成功」さえも試練だというのです。つまり成功してそれに満足して、努力を怠るようになるのか、それとも謙虚に努力を続けていくことで、その後の人生は天と地ほどに変わっていくというのです。成功という「試練」を天から与えられているというのです。
なるほど!!
苦難に対しては真正面から立ち向かい、
さらに精進を積む。
また成功に対しては謙虚にして驕らず、
さらに真摯に努力を重ねる。
たゆまぬ研鑽に励むことによってのみ、
人間は大きく成長していくことができるのです。
試練が人を成長させる
試練を乗り越えることによって人は成長するとあります。そうですね、わたしも浪人時代や研修医時代のさまざまなことが夢に出てきてびくっとすることがあります。
しかし、稲盛氏は、「試練」とは、一般的に言われる苦難のことだけを指すのではなく、「成功」さえも試練だというのです。つまり成功してそれに満足して、努力を怠るようになるのか、それとも謙虚に努力を続けていくことで、その後の人生は天と地ほどに変わっていくというのです。成功という「試練」を天から与えられているというのです。
なるほど!!
苦難に対しては真正面から立ち向かい、
さらに精進を積む。
また成功に対しては謙虚にして驕らず、
さらに真摯に努力を重ねる。
たゆまぬ研鑽に励むことによってのみ、
人間は大きく成長していくことができるのです。
2011年01月04日
オランダのあじ
明けましておめでとうございます。
いま、オランダ産の「あじ」を食べています。肉厚でけっこうおいしいです。今年は、
いま、オランダ産の「あじ」を食べています。肉厚でけっこうおいしいです。今年は、
Posted by wataru at 05:17 | Comments(0)