2011年01月07日
地獄と極楽
また、稲盛氏の著書から
天国と地獄のことについてです。
京都の円福寺のご老師のお言葉だそうです。
あの世には、地獄も極楽もある。しかし、外見上は極楽も地獄も全く一緒だというのです。
たとえば、次の情景を目に浮かべてください
真中に大きな釜が置いてあり、おいしいうどんが煮えていて、付け汁もおいてあります。
食べ方のルールが決まっていて、1メートルくらいの長い箸で、しかもその端を持って食べなければなりません。
つまり、天国も地獄も、釜の大きさも、釜を囲んでいる人数も全く一緒なのです。違うのは、そこにいる人の心だけが違っているのです。
「どういうことが起こるか想像してみてください」
おなかがすいているときに、おいしそうなうどんを前にして「さぁ、みんな食べてもいいよ」と言われれば。
地獄では、その1メートルの箸でうどんをつまんでは、自分の付け汁につける。つけるけれども、箸が長すぎて口に持っていくことができない。釜の周りはうどんの取り合いになり、うどんはちらかり人々は餓鬼道にはしる。
天国では、思いやりがある人々が住んでいます。そこでは「うどんができましたよ。皆さん一緒に食べましょう」「それでは頂戴します」といって、釜のうどんを1メートルの箸でつまみ、相手の人の付け汁につけて食べさせてあげる。相手の人は「ありがとうございました」「今度はあなたがどうぞ」といって、うどんをつまみ取ってあげる。そして人々は手を合わせ感謝しながら食べている。
「これが極楽なんだよ。しかし、外見は地獄となにもかわらない」と老師はおっしゃったそうです。
ぼくは、すぐに地獄のことを思い浮かべてしまいました。まだまだですね、反省です。
心の在り方次第で現実の世界に
極楽も地獄も出現するのです。
天国と地獄のことについてです。
京都の円福寺のご老師のお言葉だそうです。
あの世には、地獄も極楽もある。しかし、外見上は極楽も地獄も全く一緒だというのです。
たとえば、次の情景を目に浮かべてください
真中に大きな釜が置いてあり、おいしいうどんが煮えていて、付け汁もおいてあります。
食べ方のルールが決まっていて、1メートルくらいの長い箸で、しかもその端を持って食べなければなりません。
つまり、天国も地獄も、釜の大きさも、釜を囲んでいる人数も全く一緒なのです。違うのは、そこにいる人の心だけが違っているのです。
「どういうことが起こるか想像してみてください」
おなかがすいているときに、おいしそうなうどんを前にして「さぁ、みんな食べてもいいよ」と言われれば。
地獄では、その1メートルの箸でうどんをつまんでは、自分の付け汁につける。つけるけれども、箸が長すぎて口に持っていくことができない。釜の周りはうどんの取り合いになり、うどんはちらかり人々は餓鬼道にはしる。
天国では、思いやりがある人々が住んでいます。そこでは「うどんができましたよ。皆さん一緒に食べましょう」「それでは頂戴します」といって、釜のうどんを1メートルの箸でつまみ、相手の人の付け汁につけて食べさせてあげる。相手の人は「ありがとうございました」「今度はあなたがどうぞ」といって、うどんをつまみ取ってあげる。そして人々は手を合わせ感謝しながら食べている。
「これが極楽なんだよ。しかし、外見は地獄となにもかわらない」と老師はおっしゃったそうです。
ぼくは、すぐに地獄のことを思い浮かべてしまいました。まだまだですね、反省です。
心の在り方次第で現実の世界に
極楽も地獄も出現するのです。
Posted by wataru at 01:22 | Comments(0) | 名言